山夕詠井中月 산석영정중월 / 李奎報 이규보

  • Date:2014.08.10
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李玉峰さんに続いて、またドラマで学んだ詩です^^
『太陽を抱く月』に出てきた詩です。


山夕詠井中月  산에서 밤을 보내며 우물 속의 달을 읊다

山僧貪月色   산사(山寺)의 중이 맑은 달빛 탐내어
幷汲一甁中   물과 함께 한 항아리 담뿍 떠갔으나
到寺方應覺   절에 가면 의당 알게 되리라
甁傾月亦空   항아리 물을 쏟고 나면 달빛 또한 비게 됨을
<한국고전번역원 譯>


山で夜を過ごし井戸の中の月を詠む

山に住む僧が月明かりを欲しがり
月が映った水を瓶に汲んでいる
寺に戻れば僧は気づくだろう
瓶を傾ければ月明かりも消えてしまうと


李奎報 (이규보 り けいほう、1168年 - 1241年) 高麗の文人。
幼時より文筆の才能に優れ、9歳で奇童と呼ばれ、
さらに四書五経・仏教・道教の書物を読みこなし、詩文に長けたという。
8000を超える詩作は『東国李相国集』に収められている。
また説話文学である「白雲小説」も有名である。
崔瑀政権のもとで政治家としても活躍し、1232年には元の侵入にあたって、
元の太宗に書状を提出して撤兵させたといい、
その功績によって枢密副使吏部尚書・集賢殿大学士参治政事を拝命した。(Wikipedia より

高麗の大文豪と呼ばれているそうです。8千もの作品が残っているのですね。
上の詩は、般若心経の色即是空の思想が根底にあるそうです。



ドラマの中では、ヨヌが世子にお詫びの気持ちを表すのに
この詩を引用します。

0401.png

かように月明かりを留めようとするならまだしも
無礼な私をお心に留めて一体何になりましょう
隠月閣でのことは何とぞもうお忘れください
反省しております

上質の紙を買い求め、自分で染め上げ押し花をあしらって文章をしたためます。
こんな反省文をもらったら、忘れられる訳がないですね~。(笑
13歳にしてこの才気と気遣いにあふれるお手紙。
フォンはますますヨヌに惹かれていきます。



現代人はずいぶん漢詩から遠ざかってしまったなあ、と
韓国古典翻訳院の方がおっしゃっていました。
韓国でも古典との距離が開いてきているんですね。
でも、こんなふうに現代でもドラマに漢詩が登場するのを見ていると
日本人として漢詩との距離の近さを感じます。
日本では平仮名と片仮名ができたことで、漢詩との付き合い方が変わったんでしょうね。
そういえば、大河ドラマ「平清盛」では和歌がたくさん出てきていましたね~。


寧越道中 영월도중 / 李玉峰 이옥봉

  • Date:2013.10.08
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寧越道中  영월도중

五日長關三日越  닷새 거리 긴 고개를 사흘에 넘어서자 
哀辭唱斷魯陵雲  노릉의 구름 속에서 슬픈 노래도 끊어지네
妾身亦是王孫女  첩의 몸도 또한 왕손의 자손이라서
此地鵑聲不忍聞  이곳의 접동새 울음은 차마 듣기 어려워라

五日かかる長い峠道を三日で越えようとすると息も切れて
哀悼の歌も魯陵に漂う雲の中で途切れてしまいます
妾の身であっても 王家の血を引いてもいるのですから
この地のほととぎすの鳴き声は聞くに忍びないことです


旧漢字の入力が大変^^;
でも勉強になりました。
6代端宗が眠っている江原道の寧越を通った時に詠んだ詩だそうです。
ほととぎすの優しい声が少年王の声と重なったのでしょうか。

第6代 端宗(1441~1457)
1452 11歳で即位
1453 癸酉靖難 계유정난 叔父の首陽大君(7代世祖)によって政権を奪われる
1455 上王となる(というか、させられる
     その後魯山君に封じられ降格
     そして寧越に追放される
1457 王命により賜薬 16歳

悲運の王様ですね。
19代粛宗が復位させて、端宗の諡号を贈ったそうです。
そして2007年には寧越で国葬も執り行われたそうです。

玉峰の詩は離別や恋い慕う詩が多いのですが、
中にはこのような詩もあって
許筠 허균 は玉峰を大いに評価していたということです。
明でも詩集に載せられて、
朝鮮中期を代表する女流詩人の一人と言われて、
玉峰さんは喜んでいるでしょうか。
それとも今でも趙瑗を想って涙を流しているのでしょうか。

李玉峰について書かれた文は
検索すると同じような記事がいくつか出てくるんです。
出処が分からなかったのですが、
先日見つけたので、ここにも載せておきます^^
< 출처 : 한겨레21. 1997.7.17 박은봉/ 역사연구가 >

きっと玉峰について書かれた本も出ていることとは思いますが、
私は本まではちょっと読めないし・・・。(汗
でもいつか読みたいです。
ひとまずここで締めたいと思います。
心に残る出会いでした。

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額紫陽花の紅葉。
色合いと佇まいがなんとなく玉峰さんみたいで^^


閨恨 규한 / 李玉峰 이옥봉

  • Date:2013.10.05
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閨恨  규한

平生離恨成身病  평생 이별의 한이 병이 되어
酒不能療薬不治  술로도 뭇 고치고 약으로도 다스리지 못하네
衾裏泣如氷下水  이불 속 눈물이야 얼음장 밑을 흐르는 물과 같아
日夜長流人不知  밤낮을 내가 되어 흘러도 그 뉘가 알아주나

二度と会えない辛さから病を得ました
お酒でも治らず 薬でも癒えることはないのです
夜具の中で流す涙は氷の下を流れてゆく水のようです
昼夜となく流れて川になっても 誰がこの思いを察してくれるでしょうか


玉峰ちゃん、この世に男性は一人だけじゃないのよ~
なんていう言葉では癒してあげられない恋もあるんですね。
でも、無駄と分かっていても何か声をかけてあげたくなってしまいます。
こんなに辛い目にあっても生涯忘れられないほどの人に出会えるというのは、ある意味幸せなのでしょうか…。


玉峰が亡くなった後のお話も載っていたので紹介します。

**
16代仁祖の時代、조희일 チョ・ヒイルという家臣が明へ遣わされた。
明の元老大臣が「趙瑗という男を知っているか」と尋ねるので、
「私の父です」と答えると、元老大臣は書架から一冊の書物を取り出してきた。
「李玉峰 詩集」
父の妾だった女性の名前。
生死も分からないまま既に40年も経っている。
そんな人の詩がどうしてこんなに遠い明の地にあるのか。
訳も分からずただ驚いていると、元老大臣がいきさつを話し始めた。

40年ほど前、明国東海岸の入江に不思議な死体が漂っているという噂が立った。
あまりにも気味が悪く、誰も手を出そうとしないので人に命じて引き上げさせると、
全身を紙で幾重にも巻かれ、ひもで縛られた女性の死体だった。
ひもを解いてみると、外側の紙は白紙だったが、内側の紙はびっしりと詩で埋め尽くされている。
そして、「海東 朝鮮国の承旨 趙瑗の妾 李玉峰」と書かれていた。
詩を読んでみると、どれもみな大変素晴らしいものだったので、
自ら取りまとめて本にしたのだ、と。
**

趙瑗の息子としては、それまで父の妾のことが頭に浮かぶことなんてなかったんでしょうね。
悪い印象しか持っていなかったかもしれません。
そんな人が突然目の前に現れて、そして彼女の詩が明国の大臣に大いに評価されている。
家に戻ってからその話を家族にしたでしょうけど、40年後なら趙瑗も他界していたかもしれませんね。
もし老いた趙瑗が知らせを聞いたなら何を思ったでしょうか・・・。

衝撃的なお話に、辞書を片手に少しずつ読みながらずっとどきどきしていました。
どうしてお墓に埋葬してもらえなかったんでしょう?
近隣の交流のあった人たちが埋葬してあげてもいいものを。
と思いましたが、
亡くなったのが壬辰倭乱のさなかということなら
お墓を作るどころではなかったのかもしれないですよね。
動乱によって玉峰の存在も詩もかき消されてしまう可能性もあった中で、
自身の分身とも言える詩と一緒に漢江に流されて、明の人々に見つけてもらって、
そしてその詩と一緒に玉峰の名前が現代まで伝わっていることは
良かったと思うべきなのかもしれません。

玉峰の詩は、そのまた後の1704年に趙瑗の玄孫の正萬によって32編がまとめらて
現在まで伝わっているということです。


閨情 규정 / 李玉峰 이옥봉

  • Date:2013.10.02
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閨情  규정

有約郎何晩  약속해놓고 어찌 이리 늦으시나
庭梅欲謝時  뜨락에 핀 매화 다 떨어지려 하는데
忽聞枝上鵲  홀연히 가지 위의 까치 소리에
虚畫鏡中眉  부질없이 거울 숙의 눈썹 그린다오

約束しておいて どうしてこのように遅いのですか
庭に咲いた梅が すっかり散ろうとしているのに
にわかに枝の上でかささぎの声がして
思わず鏡の中の眉を整えてしまうのです


朝鮮半島では古くから
カササギが鳴くのは懐かしい人が訪ねてくる兆しだと
言われているそうですね。
梅が咲くころにと約束したのに待ち人は来ず、
もうだめなのだと分かっていても諦めきれない・・・。

好きな人といるために好きな詩を諦めなければならず、
結局その詩の才能ゆえに好きな人から遠ざけられてしまった、
としたら・・・
辛いですね。

玉峰の生没年は未詳ですが、推察はできるようです。
・趙瑗が科挙に合格したのが1572年。
・当時は科挙に合格する前に妾を置くことは稀だった。
・女性は、婚約する場合は15歳で成人式を挙げた。
・壬辰倭乱の動乱の中で亡くなったようだ。
ということから、
1557年前後の生まれで1592年から数年の間に亡くなった
ということになるようです。
35~40年くらいの人生だったのでしょうか。
壬辰倭乱(秀吉の朝鮮出兵)では、女子供にも容赦なかった時期があるようなので、
自身の人生を守るために自ら命を絶った可能性もあるのかもしれませんね。
でも、
こんなに切なくて辛い恋を続けていたら、
壬辰倭乱がなかったとしても長い人生は生きられなかったのかも、
と思ってしまいます。
荻原碌山がそうだったように。

続きます。


夢魂 몽혼 / 李玉峰 이옥봉

  • Date:2013.10.01
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先日、ドラマのカテゴリに載せた記事の続きです。
ドラマ「宮」の中で皇太后さんが詠んでいた詩です。


夢魂  몽혼

近來安否問如何  근래안부문여하  요사이 안부를 묻나니, 어떠하신지요
月到紗窓妾恨多  월도사창첩한다  달 비친 사창에 저의 한이 많습니다
若使夢魂行有跡  약사몽혼행유적  꿈 속의 넋이 자취를 남기면
門前石路半成沙  문전석로반성사  문 앞 돌 길이 반쯤은 모래가 되었을 것을

お元気でしょうか いかがお過ごしでしょうか
月の光射す絹張りの窓に 私の思いは募ります
私の魂が夢の中をさまよった跡が残るなら
門前の石畳の半分ほども 砕けて砂になっていることでしょう


この詩の作者、イ・オクポン 이옥봉 さんてどんな人だろうと興味が湧きました。
玉峰について書かれたものを見つけたので、自分なりにまとめてみました。


**
16世紀後半、徳興大院君 덕흥대원군(14代宣祖の父)の家系に連なり
忠州北道、沃川の郡守をしていた李逢之 이붕지 の庶出の娘。
庶子であっても父の身分が高いため、それなりに良い暮らしをしていた。
幼い頃から父について詩文を学び、その才能は早い時期からすでに周囲を驚かせていた。

結婚適齢期になり、自分も妾になるしかないことを知った玉峰は結婚をあきらめ、
父に付いて漢陽に行き、腕に覚えのある詩人墨客と交わって過ごした。
玉峰の詩は才気がみなぎり斬新で、都でも多くの賞賛を浴びた。

そうしたある日、趙瑗 조원 という若い学士と出会って熱烈に恋に落ちる。

それを知った父逢之は趙瑗に自分の娘を妾にしてくれと頼むが、趙瑗はそれを断る。
それでも逢之は自分の身分も顧みず趙瑗の妻の父に仲立ちを頼み、
ついに玉峰は望みを叶えることとなった。

そうしてほかの貴族の妾たちと詩をやり取りして平和に過ごしていたところに、
玉峰の一編の詩からとんでもないことが起こる。

ある日、趙瑗の家の墓守をしていた男が牛泥棒の汚名を着せられ捕らえられてしまった。
なんとか助けてほしいと懇願する男の妻の言葉を受けて、
玉峰は夫と親交のある役人に釈放を求める詩を書いて送った。
その見事な詩が功を奏して墓守は無事戻ってきたが、
これを知った趙瑗は思いもよらない行動に出る。

玉峰を追い出してしまったのだ。

家から追われた玉峰は、都の外に粗末な家を得て、
そこで趙瑗への思いを詩に込めて暮らした。

**
「夢魂」も、趙瑗を思って詠んだ詩のひとつです。
心の中で毎日毎夜、
愛しい人の家の門前に立ちつくす玉峰。
あの、紗の張ってある窓の内側にいる人を思って。

それにしても逢之お父さん、
娘が恋する相手の妻の父親に頼みに行くとは。
王家から出た人間が目下の者に頭を下げるなんて当時では滅多にないことだったろうと思うのですが、
それだけ玉峰が可愛かったんでしょうね。

なぜ玉峰は追い出されたのでしょう。
「詩を書かないこと」という結婚の条件を破ったからだという話が伝わっているが、
結婚後も詩を書いていた痕跡があることと、
詩に恨みがあるわけでもない趙瑗がそんなことをするはずはなく、この話は信じ難い、
と本文には書かれています。

それでも儒教が基盤だったことを考えると、女性が詩や書画などの芸術で活躍することは
良い顔をされるものではなかったわけで、申師任堂のような人は例外中の例外だったことでしょう。
趙瑗にとっては玉峰の活動が自分の体面を汚すものと思われたかもしれませんよね。

もう一つ、全くの素人考えですが…
趙瑗は玉峰の才能に嫉妬していたのではないでしょうか。
だから、妾として迎えてやるけれど詩はやめろ、と。
でも玉峰は表に出ないところで詩を書いていた。
ひっそりとやっている分には目をつぶっていた趙瑗だったが、
墓守の一件で玉峰が賞賛の的になったことで嫉妬心と約束を破ったことへの怒りが爆発して
とうとう家から追い出してしまった。

どうでしょうね。
次回に続きます。


序詩 尹東柱

  • Date:2012.12.06
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서시   윤동주
序詩   尹東柱(ユンドンジュ)


죽는 날까지 하늘을 우러러
死ぬ日まで天を仰ぎ
한점 부끄럼이 없기를,
一点の恥なきことを、
잎새에 이는 바람에도
葉あいにそよぐ風にも
나는 괴로와했다.
私は心痛めた。
별을 노래하는 마음으로
星を吟ずる心で
모든 죽어가는 것을 사랑해야지
死にゆくすべてのものを愛さねば
그리고 나한테 주어진 길을
そして 私に与えられた道を
걸어가야겠다.
歩いてゆかねばならない。

오늘밤에도 별이 바람에 스치운다.
今夜も星が風に触れて泣いている。


**
尹東柱(1917-1945)
朝鮮人としての誇りを持ち続けた彼は、
日本に留学中、特高警察に捕らえられ福岡刑務所で27歳で亡くなります。
自分の姓を捨てなければならず、
自国の言葉を話してはならず、
自国の歴史や文化を学んではならず。
小林多喜二も特高に捕らえられたのでしたね。
一般人でさえ、銭湯でくつろいで冗談ひとつも言えないような狂気の時代。