明治の改暦大騒動。

NHKの『タイムスクープハンター』が好きで、よく見ています。
元日に放送していたものを録画しておいたのですが、やっと見ました~^^
明治時代、太陽暦に改暦した当時の騒動のお話。


明治5年の旧暦11月9日、政府が突然、改暦の布告『太陰暦ヲ廃シ太陽暦ヲ行フ附詔書』
を出しました。
「来る12月3日(旧暦)をもって、明治6年1月1日(新暦)とする。」

ということは、明治5年の12月はたった2日しかなかったんですね!
このお触れ、なんと一般市民のみならず、暦業者でさえ寝耳に水だったんだそうです。
大変なことになりました。

当時の暦は、政府が原本を作成していました。
そして暦業者が政府に多額の上納金を納めて版権を得、印刷販売していましたが、
お触れが出た時にはすでに翌年の暦を刷り上げていたのですね~。
全て売り物にならなくなって大損害を被りました。

そして商人たちも1年分の売掛金を年末に回収するのが慣例だったため、
大急ぎで集金をしなければなりませんでした。


実は政府には、急いで改暦をしなければいけない理由がありました。
国の財政事情^^;
明治維新後、国の役人(国家公務員)への給料の支払いが、これまでの年棒制から
月給制へと変わりました。
そうすると、閏月が入って1年13か月になる年には13回、月給を支払うことになるわけです。
そして明治6年は閏月の入る年でした…。
欧米に合わせるため、数年前から太陽暦導入は検討されていたようですが、
年末に突如改暦するということは、その時まで誰も閏月と月給制とのことに思い至らなかった…
なんてことはまさかないですよね? あるかも?
検討を重ねているうちに明治5年になってしまって慌てたんでしょうか。
それとも、役人たちから出るであろう不満の声に押されないための強硬策だったとか^^;


お触れを出してからも、政府は国民に対して何の説明もしませんでした。
このことからも、なんだか隠しておきたい思惑があったような気配がしますね。(笑
政府の姿勢を不満に思った福沢諭吉が『改暦弁』という新暦の解説書を出し、
これがベストセラーになります。
なんと諭吉先生、風邪で寝込んでいる間にたった6時間で書き上げたんだそうですよ~。


ドラマの中で紙問屋の女将さんが
「これから寒くなるってのに何が正月だ。新春が聞いて呆れるね~!」と言っていましたが、
正月・新春というのはこれから暖かくなる季節のものだったんですよね。
新暦のお正月、日は短いし寒いしで変な気分だったろうと思います^^;

様々な行事や仕事なども、
・15日の十五夜の日が満月にならない。
・15日と決まっていた村祭りを、満月のない暗い夜にすることになる。
・詩歌や俳句の季語が合わなくなる。
・潮の干満の見当がつかなくなる。

など、これまで月の満ち欠けと日付けがぴったり合っていたのがずれてしまって
なんとも気持ち悪い状態になってしまいました。

月が出ないはずの29日・30日に月が現れるのもおかしなことで、
「晦」という字にはそもそも、「暗い・闇」という意味があって、
晦日はすなわち「月が出ない日」という意味になるわけです。
それまで存在しえなかった「31日」も、かなり不思議な感覚だったのではないでしょうか^^;

歴史書などでの、過去の出来事の年月日の変更も大変だったでしょうね。
改暦の他にも、不定時法から定時法への変更もありました。
江戸時代までは、日の出から日没までを6等分していて、
季節によって一時(いっとき)の長さは違いましたが、太陽の位置で時間を知ることができました。
定時法になると1日を24等分なので、太陽の位置と時間にずれが生じますよね。
時計が普及するまでは不便を感じる人が多かったようです。


政府の思惑には、古い習慣や年中行事を一掃したいということもありました。
それまでの暦にには『暦注』という占いのようなものが付いていましたが、
そういう非科学的な迷信の類も一切排除。
山梨では門松や節分が禁止されたり、
福井や鳥取、福岡などでは政府の方針に反対して暴動が起きたりしたそうです。
この時期は廃仏毀釈で、コミュニティの中心だったお寺も荒れ果てました。
明治政府、いくらなんでもやりすぎでは~。
当時としては大真面目だったのかもしれませんが^^;
それまでの価値観や制度がひっくり返って、ほんとうに大変な時代だったのですね。


お隣の韓国は陰暦と陽暦を両輪にしてうまく回っていますよね。
太陰暦にも優れた部分が多いので、うらやましく思います^^



追記。
改暦弁はこちらで読めます。

太陽とは日輪のこと、太陰とは月のこと、暦とはこよみのこと…と言葉の説明に始まり、
太陽暦のしくみ、曜日や12か月の名前、時計の読み方まで丁寧に解説しています^^


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Comment

ずいぶん乱暴なことをしたんですねぇ! 暴動が起きるのもわかる気が...(^^;)。

お金の問題が一番だったのか、それとも一新したかったのかな?

江戸時代は長くて変化も乏しかったかも知れないけれど、明治時代は激動の時代だったんですねぇ。そのころ生きた人たちは、ある意味面白い時代を生きたのかな(^^)。

今日、明日はセンター試験ですね。ブロ友さんのお子さんたちも受けたはず。東京は強風で体感温度はこの冬いちばん低かったような気がしました。

雪国でのセンター試験受験者は、会場までの交通も気になりますよね? るるるさんは、今冬はお知り合いで受験なさるかた、いらっしゃいますか?
ハーちゃんさま^^

第一の目的は欧米に並ぶことだったんでしょうか。
何もそこまで自国の文化を否定しなくても、と思ってしまいますが、
それくらい欧米の文化水準が高く素晴らしいものに見えてしまっていたんでしょうね^^;
当時のThe Japan Weekly Mailという新聞には、
「それでも日本人は愉快に過ごしているようだ」と書かれていたそうです^^

センター試験、お天気が悪くて大変だったでしょうね^^;
私の知り合いも数人受けていますよ。受験者の皆さん満足な結果が出るといいですね~^^
  • 2015/01/18
  • るるる
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