「千差万別」

『千差万別  せんさばんべつ・せんさまんべつ』

さまざまな違いや差があり、一つとして同じものがないこと。
物事がそれぞれ異なっているさま。

「せんさまんべつ」とも読むようですが、
この読みでは漢字変換されませんでした~^^;


類語
『種種雑多  しゅじゅざった』
異質なものが多く入り交じっていること。また、そのさま。
「雑多」はいろいろなものが入り交じっていること。また、そのさま。


『多種多様  たしゅたよう』
種類が多く、さまざまであること。また、そのようなさま。



다종다양 [多種多樣]
종류나 모양이 여러 가지로 많다, 여러 종류와 모양


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「意馬心猿」

『意馬心猿 いばしんえん』

心が煩悩や欲情などに乱されて落ち着かないこと。
またそういう心を抑制できないこと。
仏教のことばで、
走りまわる馬や騒ぎ立てる猿を鎮めるのは容易でないという意から。
「心猿意馬」とも。


初めて見る言葉はいつも解説を読む前に意味を想像してみるのですが、
今回もやってみましたよ。
「速く走る馬や知恵の働く猿のように有能な人と協力して問題を解決すること」

まったくハズレ!!(笑


出典は、『敦煌変文集』の維摩詰経講経文(ゆいまきつきょうこうきょうもん)。
敦煌文書は、1900年に中国の莫高窟で発見された大量の文書類。
その中の変文というものが1957年に編集されたのだそうです。
井上靖が敦煌文書を題材に小説『敦煌』を書いていますね。

また出典を「参同契 さんどうかい」としているものもありました。
如し其れ心猿定まらず、意馬四馳すれば、則ち神気外に散乱す
参同契は、曹洞宗において朝夕読誦する最も重要な経典のひとつだそうです。

この2つに関係があるのかは分かりません、すみません^^;



対語

『虚心坦懐 きょしんたんかい』 
『虚心平気 きょしんへいき』
心になんのわだかまりもなく、気持ちがさっぱりしていること。
心にわだかまりがなく、平静に事に望むこと。また、そうしたさま。
「虚心」は心に先入観やわだかまりがなく、ありのままを素直に受け入れることのできる心の状態。
「坦懐」は心が広くわだかまりがなく、さっぱりとした心。平静な心境。



『明鏡止水 めいきょうしすい・めいけいしすい』
邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容。
「明鏡」は一点の曇りもない鏡のこと。
「止水」は止まって、静かにたたえている水のこと。

出典は『荘子』徳充符。
「徳が充実したしるし」という意味の編だそうで、
兀者(ごっしゃ)と呼ばれる、罪を犯して片足を切り落とされた受刑者が登場するのですが、
その中の一人、魯国の王駘(おうたい)という兀者は孔子が弟子入りしたいと思うほどの人物。
その人物を孔子が形容する言葉の中に「明鏡止水」が出てきます。



『光風霽月 こうふうせいげつ』
さわやかな風とさえわたった月。
性質がさっぱりとしていて、わだかまりがないこと。

出典は、『宋史』周敦頤(しゅうとんい)。
黄庭堅(こうていけん)が周敦頤の人柄をこのように形容して褒めたのだそうです。
周敦頤は北宋の儒学者(1017~1073)。
生前はあまり注目されず、没後に評価されたそうです。
黄庭堅は同じく北宋の書家・詩人・文学者(1045~1105)。
黄庭堅が周さんのことを「光風霽月」と言ったのが彼の生前だったらいいなぁ、と思います^^



『晴雲秋月 せいうんしゅうげつ』
心に汚れがなく、澄みとおっているたとえ。
「晴雲」は、晴れた空に浮かぶ白雲のこと。
「秋月」は、秋の澄んだ空にかかる月の意。

出典は、『宋史』文同伝(ぶんどうでん)。




의마심원 [意馬心猿]    심원의마 [心猿意馬]
[불교] 뜻은 날뛰는 말과 같고, 마음은 떠드는 원숭이와 같다는 뜻으로,
사람의 마음이 욕심 때문에 항상 어지러움을 비유적으로 이르는 말.

명경지수 [明鏡止水]
맑은 거울과 고요한 물처럼 잡념과 허욕이 없는 깨끗한 마음을 비유적으로 이르는 말

허심탄회 [虛心坦懷]
따로 품은 생각이나 거리낌이 없이 솔직하다,
품은 생각을 터놓고 말할 만큼 마음에 아무런 거리낌이 없고 솔직함

광풍제월 [光風霽月]
(1)마음이 넓고 쾌활하며 시원스러운 인품을 비유적으로 이르는 말.
(2)비 온 뒤에 맑게 부는 바람과 밝은 달.


「勇気凛凛」

『勇気凛凛  ゆうきりんりん』

勇ましさにあふれていること。
危険や失敗を恐れず、勇敢に立ち向かっていこうとするさま。


「凛凛」を調べてみると、
1. 寒気がきびしく身にしみるさま。「凛凛たる霜夜の気」
2. 勇ましいさま。りりしいさま。心のひきしまるさま。
    「勇気が凛凛とわいてくる」 「凛凛とした声」


りん、りんりん、響きの透きとおっている感じ好きです。
正字が「凜」(下の部分が禾)、俗字が「凛」(下の部分が示)。
余談ですが、俗字のほうも人名に使いたいと、以前裁判になったことがありましたね~。
(詳しくはこちら 


「人跡未踏」

『人跡未踏  じんせきみとう』

まだ人が足を踏み入れていない未開の土地。
また、だれも取り組んでいない分野。
「未踏」を「未到」と書くのは誤り。


それなら「前人未到」は?
こちらは「前人未踏」でも「前人未到」でもいいようなんです。
ややこしいです。
韓国語で「人跡不到」があるので「人跡未到」もいいような気がしちゃうんですけど~^^;



인적미답 [人跡未踏]
지금까지 사람이 지나간 일이 전혀 없음.

인적부도 [人跡不到]
사람의 발자취가 닿지 않음.

전인미답 [前人未踏]
1. 어떤 일 또는 수준에 아무도 손대거나 다다라 본 적이 없음을 비유적으로 이르는 말.
2. 사람의 발길이 아직 거친 적이 없음.


「残念至極」

『残念至極  ざんねんしごく』

非常に悔しくてたまらないこと。
とても心残りであることをいう。
「至極」はこの上ないこと。


類語
『残念無念  ざんねんむねん』



韓国語では「残念」という漢字語がないようなので、
지극히 유감스럽다 という感じになるんでしょうかね^^


ギボウシとドクダミ。

今朝は6時過ぎにお散歩に出ました^^






ギボウシ。
以前、ユリ科として覚えましたが、
今の分類ではクサスギカズラ科リュウゼツラン亜科だそうです。
お花についてよく調べるようになってから、度々新分類に出会います。
まだまだ植物も未知なる世界なんですね^^

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全体像を見るのと、こうしてお花に寄って見るのとでは印象が全然違います。
ギボウシは葉っぱの存在感が大きいですよね^^






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ヤエノドクダミです。
一重咲きのドクダミもそうですが、
小さくて黄色いのが本当の花で、白い花びらのような部分は総苞片です。

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八重咲きでも匂いはドクダミ。(笑
子供のころは好きではなかったのですが、
今では嫌な匂いだとは思わなくなりました。

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そうそう、今年も家のすぐ近くにトラフズクがやって来ています^^!
日が暮れてから夜明けまで、時にはお昼近くまで
「キィー」とよく通る声で鳴いています。
まだ姿を見ていないのですが、
明日の朝、時間があったら探してみようと思います♪


「気息奄奄」

『気息奄奄  きそくえんえん』

息が絶え絶えで、今にも死んでしまいそうなさま。
転じて、国や組織、集団などが今にも滅びそうなさま。
また、一般に物事が順調に進んでいないさま。

いつもまず最初に、意味を読まずに自分で推理してみるのですが、
漢字の意味が分からないと無理ですね^^;
「奄」といえば、「奄美」。
でも辞書を引くと、「あまみ」は難読とされていました。こちらの方が馴染みがあるのに^^;
「奄 えん」はもともと「おおう」の意味。
「奄奄」で、息も絶え絶えであるさま。生気のないさま。


出典
李密(りみつ)「陳情表 (ちんじょうひょう)」

昨日の記事に書いた「慈烏反哺」と同じですね^^
ということは「気息奄奄」は李密の、90歳を過ぎたおばあさんのことでしょうか。



類語

『半死半生  はんしはんしょう』
死にかかっていること。もう少しで死にそうなようす。

出典
枚乗(ばいじょう)「七発 (しちはつ)」 (枚乗についてはこちら 


기식엄엄 [氣息奄奄]
숨이 거의 끊어질 듯 숨기운이 약하고 위태함

반사반생 [半死半生]
거의 죽게 되어 죽을지 살지 모를 지경에 이름,
거의 죽게 되어 죽었는지 살았는지 모를 지경에 이르다


「三枝之礼」

『三枝之礼  さんしのれい』

鳩の子は、親鳥がとまっている枝よりも三本下の枝にとまり礼儀を守る。
親に対して礼儀をつくし、孝行すること。

出典は、
「学友抄 (がくゆうしょう)」
烏に反哺の孝有り、 鳩に三枝の礼有り



類語

『慈烏反哺  じうはんぽ』
子が親の恩に報いて孝養を尽くすこと。親孝行のたとえ。
情け深いからすが幼いときの恩を忘れず、老いた親に口移しで餌えさを与える意から。
「慈烏」はからすの異称。
からすは、幼いとき親が口移しで餌を与えてくれた恩を忘れず、成長すると親に餌を与えてその恩を返すという。
「哺」は口中の食物のこと。


『反哺之羞  はんぽのしゅう』
子が親の恩に報いることのたとえ。
「反哺」は「哺(口移しに餌を与えること)」の返礼。
「羞」は食物をすすめること。
烏は親鳥が雛に六十日間口移しに餌を与え、
成長した子鳥が親鳥に、返礼として六十日間口移しに餌を与える
という中国の言い伝えから。

「慈烏反哺」 「反哺之羞」ともに出典は、梁武帝 りょうのぶてい 「孝思賦 こうしふ」
梁武帝とは中国南北朝時代の梁の初代皇帝、蕭衍(しょうえん)のことで、
仏教を厚く信仰し菜食だったことから「皇帝菩薩」と呼ばれたそうです。


자오반포(慈烏反哺)
자애로운 까마귀의 돌이켜 먹임이라는 뜻으로,
까마귀가 다 자란 후에 늙은 어미에게 먹이를 물어다 준다는 데서
자식이 부모의 은혜를 갚음을 비유하는 말.

반포지효 [反哺之孝]
까마귀 새끼가 자라서 늙은 어미에게 먹이를 물어다 주는 효라는 뜻으로,
자식이 자라서 어버이의 은혜에 보답하는 효성을 이르는 말




追記^^

「孝思賦」の本文がなかなか出てこなかったのですが、
韓国語で調べていたら「李密 りみつ」という人の話であることが分かりました。

李密(224-287)は、晋の武帝が高い官位を授けようとしたところ、
年老いた祖母を養うために官職を辞退した。
武帝はそれに腹を立て李密に対して厳しい命を下したが、李密は自身を烏にたとえ、
「烏が親鳥の恩に報いようとする心で、祖母が亡くなる日までお世話できるようにしてください」
と、後に「陳情表」と呼ばれる上奏文に表した。
武帝は大いに心を動かされ、李密と祖母を手厚く保護するように命じ、
李密は祖母の喪が明けた後に出仕し、見事な治績を挙げた。

カラスは、中国で凶鳥とされているようです。
日本でも忌み嫌われていますね^^;
韓国では「까마귀 밥이 되었다 カラスの餌になった」と言うと、死んだことを意味するそうです。

一方、明の末期に出た博物学者、李時珍(1518-1593)の著した「本草綱目」に
カラスの習性について書かれていて、それによると、
カラスは卵からかえってからの60日間は親鳥が餌を運んできて食べさせてくれるが、
ヒナが成鳥になると、今度は反対に餌探しが辛くなった親に餌を与えるという習性がある。
そのことから、カラスを「慈鳥」と呼んだそうです。

私自身はこんな光景を見たことはないのですが、
近所のカラスをよく観察していると、親子や兄弟で一緒にいたりして仲が良いのです。
なのでこの話も本当ではないかな、とちょっぴり思っています^^

「鳩に三枝の礼あり、烏に反哺の孝あり 」とも言うようです。


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